4月4週目の店の連休が、丁度桜の見頃との情報を得て、今年100周年を迎えた 弘前のさくらまつりに
出かけてきました。
当日は薄曇りの少し肌寒い陽気でしたが、前日迄の温かさで2600本と言われる弘前公園の桜は正に満
開を迎え、平日にもかかわらず、県中の人達が集まってきているのではないかと思われるほどの
賑わいでした。
花の美しさもさることながら、特筆すべきは、目の高さで桜を満喫出来たことです。その時は、木が
大きいために重さで枝が垂れてきているのかと思っていましたが、後になって、それはより早く収穫
出来るように、低い位置にリンゴを実らせる「弘前方式」と呼ばれるリンゴの栽培技術が、縦に伸び
ようとする枝を剪定によって横に広げるように、桜に活かされていることを知りました。(長野のリン
ゴ農家の湯本さんが、剪定は煩悩との葛藤と言われていたのを思い出しました!)
同じコ-スを、夜も再び辿ったのですが、昼間の表情とはガラッと違った妖艶な美しさの中でも最も
印象深かったのは、春陽橋という西堀の橋からお堀を臨んだ時の光景です。真っ黒な空と水面を分け
ているのは、ライトアップされた桜並木と、水面に映し出されているその姿でした。まだ見たことは
ありませんが、これが天国へ続く道なのではないか!と思うほどの絶景に、声も出ず、足がすくみま
した。
地元麻生川の桜は、新緑から若葉の美しい季節を迎えています。
1967年から始まった麻生川の治水事業によって、川が直線化された頃に280本の桜が植樹されたそうで
記憶には残っていませんでしたが、1994年の市制70周年を記念して開催されるようになった桜まつりに、
店を開業した95年に出かけた時の写真が、古いアルバムに残っていました!
賑やかな花の時期ばかりでなく、年間を通してこの並木道に季節の移ろいを感じ、心癒される日々です。
農耕民族である日本人が、春の訪れを知る木としての心の拠り所である桜は、昔から人の手によって
植えられ、環境に合わせるために根を継いだり、土を入れ替えたり、人の世話が無いと永らえること
が出来ないそうです。
毎年の一瞬の花の時期にいかに咲かせいかに魅せるか。時が変わり土地が違っても、通年で桜を支え続けているいわゆる 桜守 と呼ばれる人々をはじめとした、日本中の実に多くの人々の桜への想いは、自然の営みへの果てなき挑戦のように思えます。